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八百万の言葉

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ギザの三大ピラミッド


紀元前200年頃、古代ギリシャのビザンティウムの数学者・フィロンが、「旅先で観た素晴らしい建造物」を『世界の7つの景観』という本にしました。
いわば古代世界のガイドブックのようなものです。
これが俗にいう「世界七不思議」のはじまりとなり、その後100年ほどたって、シドンの学者・アンティパトロスがこの文献を元に詩をまとめ、「七不思議」として定着するようになりました。

1 ギザの三大ピラミッド  エジプト・カイロ
  七不思議のうち、最古にして、現存する唯一の建造物。
  紀元前2600年頃、ギザの台地に建てられたといわれる3大ピラミッドですが、何のための建造物かは未だに不明です。
  一般的にはクフ、カフラー、メンカウラー王の墓という説が有力です。(現存するヒエログリフの表記順)
  大ピラミッドはクフ王のピラミッドをさします。
底辺は233M,各辺は東西南北に面し,四隅はほぼ直角をなしています。高さは137Mあり、壁面の傾斜角は52度あります。
  このピラミッドには一個2.5トンの石灰岩が230万個つかわれており,210段にわたって積み上げられています。これは東京駅170件分に相当する石材が使用されている計算になるそうです。
  またピラミッドの壁面は化粧石といわれる磨き上げられた石灰岩で覆われていました。この外装用の石は崩れてしまっていますが,当時のピラミッドの壁面は滑らかだったと考えられています。
  建設作業は石の切り出し,運搬,工事用道路の建設,基礎工事などの準備段階で10万人が3ヶ月交代で10年、さらに石の積み上げ作業に20年以上かかったと言われています。 
  ピラミッド建設は,ほとんど人力によっておこなわれました。
  映画で見た,奴隷がムチでせき立てられているシーンを思い出しますね。しかし実際には戦争捕虜以外の奴隷はほとんどいなかったようです。農民が,農閑期に衣食住を与えられて従事した、公共事業みたいなものだったと言われています。
  歴史上、最初にクフ王のピラミッドに入ったのは、9世紀のエジプト回教王・アル・マムーンです。
  財宝が目的で苦労して進入したのですが、財宝はおろか、王のミイラすらなく、蓋のない空の石棺があるだけでした。
  最初からここには何もなく、王のミイラも副葬品も別の場所に埋葬されているのかもしれません。
  
  また、ピラミッドはオリオン座を地上に描いたものだと言う説があります。ナイル川を天の川に見たてて、夜空の星をピラミッドで作ろうと考えたようです。
   ギザの三つのピラミッドの航空写真を見てみるとクフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッドはその対角線をのばした方向に並んでいますが、一番小さなピラミッド、メンカウラー王のピラミッドと呼ばれているものは、二つのピラミッドを結ぶ対角線上から少しずれています。
  きわめて精巧に作られたピラミッドどうしに何故このようなずれが生じているのでしょう。
  何故メンカウラー王のピラミッドは先の二人の王のものに比べて小さく作られたのでしょう。
  財政難説?それを証明するものは何一つありません。
  1994年、ギザのサンダイピラミッドは王の墓ではなく、夜空に輝くオリオン座の中心三つの星、アルニタクとアルニラムとミンタカをあらわしている、というそれまでエジプト考古学者が考えもしなかった画期的な仮説を書いた『オリオン ミステリー』という一冊の本が出版されました。この本の著者である、エジプト・アレキサンドリア生まれのイギリス人、ロバート・ボーヴァル氏は、
  「これらのピラミッドはある計画に沿って作られたもので、メンカウラー王のピラミッドはこのように作られなければならなかった。その計画とは夜空を地上に写しとることである」と語っています。
  そこで、オリオン座の3つ星の写真とピラミッドの写真を重ね合わせてみると まさしく、ピッタリと重なります。
  さらに少し暗い星ミンタカがメンカウラー王のピラミッドに重なり、その大きさやズレがうまく説明できます。
  エジプト考古学界で長年謎とされてきた部分が、このように解明されたのです。
  王の間と女王の間に二本づつある細長い通気孔は、南の空のオリオンとシリウスがそれぞれ南中した時の高度を示しているという事実も彼の説の裏付けとなっています。
  通気孔のそれぞれの角度、王の間の北面の通気孔は建設当時の北極星であった龍座のアルファに、同じく南面の傾斜角45度の通気孔と女王の間の南面の傾斜角39度30分の通気孔は、当時のオリオン座のアルニタクとシリウスの南中時の高度に一致しています。
  太陽信仰以前のエジプトのもっとも古い宗教は、オシリス信仰でした。オシリスは復活と生産の神です。その妹であり妻であるイシスは子を守る女神として、その子ホルスは天空の神として崇拝を受けていました。特に古代エジプトにおいて王は、ホルスそのものの分身として考えられていたのです。
  古代エジプト人達は、ナイル川が洪水になる夏の明け方に、東の空より上ってくるシリウスをイシスの分身、そしてオリオン座をオシリスの分身と考えました。王の間の通気孔がオシリスを表すオリオン座の3つ星を、女王の間の通気孔がイシスを表すシリウスを指しているのにはこのような意味あいがあるのです。
  
  このように、現在もピラミッドについてさまざまな研究が行われ、色々な発見がされています。
  古代のエジプトの姿も明らかになりつつあります。
  それにしてもクフ王はどこへ行ってしまったのでしょう。再生して街を出て行ってしまったのでしょうか?
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