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八百万の言葉

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バビロンの空中庭園

紀元前200年頃、古代ギリシャのビザンティウムの数学者・フィロンが、「旅先で観た素晴らしい建造物」を『世界の7つの景観』という本にしました。
いわば古代世界のガイドブックのようなものです。
これが俗にいう「世界七不思議」のはじまりとなり、その後100年ほどたって、シドンの学者・アンティパトロスがこの文献を元に詩をまとめ、「七不思議」として定着するようになりました。


2 バビロンの空中庭園  イラク・バグダットより南100キロにあり、当時は世界最大級の都市でしたが、現存しません。
  紀元前600年頃、古代メソポタミア地方、バビロニア帝国の首都・バビロンに、ネブカドネザル2世が王妃アミュティスのために建造した庭園です。
  当時、ネブカドネザル2世は、メディア王国から王妃アミュティスを迎えていました。
  メディアは山も多く自然豊かな国でしたが、バビロンは平坦で雨も少なく自然も多いわけではありませんでした。
  そこでネブカドネザル2世はアミュティス王妃のために、故郷の森に似せた緑の丘を作ろうと考え、空中庭園が造られたそうです。
  基部は125メートル四方、高さは25メートルほどで、5段のバルコニー状のフロアで構成されていました。
  各バルコニーは大きな花壇を備えており、大量の土と多くの植物が持ち込まれていまた。
  建物の四方には幅6メートルの階段があり、最上階まで続いていました。
  あまりの大きさのため、遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたそうです。
  その姿から『空中庭園』または『架空庭園』『吊庭』などと呼ばれていました。
  砂漠の大庭園は毎日多くの水を必要としました。
  そこで近くを流れるユーフラテス川から汲み上げられた水が,建物全体にいきわたるような仕組みがあったといいます。 
  しかし現在でも架空庭園の揚水システムについては詳しいことは判っていません。
  大型の水車を使ってフロアからフロアへ汲み上げたのではないかと考えられています。
  新バビロニア帝国は、紀元前538年アケメネス朝ペルシャによって征服され、首都バビロンも廃墟となりました。
  空中庭園も失われてしまい、場所も推定位置しか判明していません。
  同時期のバビロンには巨大な建物が存在していましたが、美しさの点で空中庭園が七不思議のひとつとして選ばれたと思われます。
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